2012年7月27日金曜日

原発ハイロ県民集会in柏崎

7月22日、柏崎市にて原発ハイロ県民集会を開催しました。




 原発を巡る情勢は、福島原発震災を何ら教訓化すことなく「原子力ムラ」の論理がまかりとおっています。民主党政権は「暫定基準」で大飯原発3・4号炉の再稼働を決定し、加えて「13年4月以降、柏崎刈羽原発1号機から再稼働」する「東電・特別事業計画」を容認しました。更に、この「特別事業計画」を後押しするかのように金融資本は今年7月以降、1.7兆円融資の特約条項に「事業計画」の確実な実施を設定しました。

 そのため柏崎刈羽原発の再稼働を許さず、廃炉を求める位置づけで「中越沖地震5周年&県原水禁被爆67周年原発ハイロ県民集会」を開催し、400人が結集しました。当日は北信越各県、北海道、鹿児島、東京、神奈川など全国から参加がありました。

 
 主催者代表して近藤ゆき子さん(県民の会共同代表/刈羽村命を守る女性の会)は「5年前の7.16中越沖地震での柏崎刈羽原発の事故・被害を徹底検証し、対策をしておけば3.11の不幸な事態を避けることができたかもしれない。国会事故調もその報告で『明らかに人災』だったとした。福島のみなさんが全国に避難し、最早、古里に戻れない人達がでている。柏崎で同じことが起こればもっと大きな被害(巨大な集中立地のため)となる」「柏崎刈羽原発の再稼働をさせてはならないし、廃炉しかない。共にがんばろう」と決意を表明しました。
 
 
 記念講演で後藤政志さん(NPO法人APAST理事長:元原子炉格納容器設計技術者)は「福島原発事故から見た柏崎刈羽原発再稼働の危険性」の演題で「①(中越沖地震で)基準地震動450ガルの約4倍の1699ガルで揺れた。そのため配管のハンガー類の指示位置が単にずれただけなのか、東電の説明では判らない。②5号機のスタビライザーにしても5メートルの先に数トンの鉄の塊を付け、数ミリのストッパーで上下動を押さえようというのだからあきれ果てる。③大飯2・3号炉の間の直下に『破砕帯』があり熊川断層・F6断層と連動して『地表がずれる』といわれているにも拘わらず、3・4号機を再稼働した」「技術的に大きな問題を抱えているにも拘わらず設計段階まで戻って再検討なしで再稼働するということは、国際社会で通用しない。例えば、エンジンに不調の疑いがある飛行機を“客の都合”で飛ばすことをするか。やったら犯罪になる」と厳しく指摘をしました。さらに、原子力の持つ意味として「①被害の規模が桁違いに大きい ②被害が子や孫どころか何世代にもおよぶ ③過去3回も過酷事故を起こしたことからも事故の確率が小さいは真っ赤な嘘、④多重防護は事故の確率を下げているだけで本質安全(絶対安全)はない ⑤損害保険をかけられないほど人的・物的(自然・環境)被害が甚大。経済性や電力供給の安定性もない。だから原発を止めよう」と結びました。
 

 福島からの報告で荒井弥寿美さん(福島・楢葉町→柏崎→いわき市と避難された方)は「原発事故のために何もかも根こそぎ奪われた。家族も、地域もバラバラ、その上、毎日が不安、不安の生活をでおくっているのが現状だ。この先、何も見えない」「孫から『バアバ、僕は20才まで生きられるか』と聞かれ、バアバが守るから大丈夫。その代わりに“草むらに入いちゃ行けない”、“水溜まりに入いてはいけない”と言い聞かせた。テレビや町役場からは3月12日まで何の情報も入らなかった。12日の朝、テレビのテロップで原発の事故を知らされ、広報無線で“役場駐車場”に来るよういわれた。割烹着姿でいったところ『皆さんは○○に直ちに避難』と指示された。13日、避難先に説明に来た東電社員に『家族はいるか』と尋ねたら、『いる』と答えたが、『どこに避難したか』と尋ねても答えはかえってこなかった」と語りました。荒井さんは、転々と避難したこと、そして東電社員が人を人として扱わない不遜な態度を吐き出すように訴えました。最後に「1年4ヶ月経ち、“除染、除染”といっているが何の準備もしていない。仮に“除染”をしたとしても原発労働者、しかも18歳以上年間20mSvという被曝線量の地に誰が帰られようか。こんな地に幼子を24時間・365日、生活させる親はいない。地震や津波で家が壊れたり先祖代々の墓が壊れても直すことはできる。放射能で汚染されたら帰る家があっても帰れない。人ごとではない、本当にお世話になった柏崎の皆さんに同じ思いはさせたくない。再稼働をさせないためにも私たちも闘う」と訴えました。また、荒井さんの妹・清水さん(柏崎に避難中)も「国は家屋を除染するといっているが室内、畑や山は対象外だ。しかも、畳にカビやキノコが生えている。こんな場所で安全な生活はできない」と強調しました。
 
 「柏崎刈羽原発運転差し止め訴訟の意義と概要」で松永仁弁護士(脱原発新潟県弁護団事務局長)は、132名の原告と県内40人越える代理人(弁護士)により4月23日に訴えを起こし、7月12日の第1回公判が行われたことが報告されました。また、第1回公判での緑川敦子さん(新潟市への避難者)の意見陳述書を読み上げ「裁判官に(この悲しみが)伝わって欲しいとしました。
 
 「柏崎刈羽からの訴え・決意」で高橋新一さん(地元三団体共同代表)、高桑千恵さん(刈羽村命を守る女性の会)は「中越沖地震で生死の間を彷徨う大怪我をした原発の再稼働を許すことはできない。危機の健全性や震源断層としたF-B断層の北方延長問題が何ら解決されていない」「3.11での福島の皆さんの犠牲で多くのことを知らされた。しかし、国も東電はその責任をとるどころか何も変わってない。帰る当てもないふるさとにしないために再稼働させない決意を再確認する」と決意を表明しました。


 その後、県原水禁笠原美紀子理事長から県原爆被害者の会(新友会)山内悦子事務局長に恒例の義捐金贈呈が行われました。

 決議文採択で、「核被害に軍事利用も商業利用の区別がないことをフクシマが改めて示した」「私たちはここに、福島第一原発事故を起こした国・事業者である東京電力に柏崎刈羽原発からの撤退とハイロを強く要求する。また、被爆67周年の今年、ヒロシマ・ナガサキの原爆被害にとどめることなく、あらゆる核開発の過程で生み出された核被害者との連帯と援護と、核廃絶・非核政策を推し進める取り組みを一層強化していく」と宣言して採択した後、「再稼働止めろ!」「原発・・ハイロ!」「大飯を止めろ!「フクシマを守れ!」「子どもを守れ!」「柏崎刈羽を守れ!」など市民に訴え、柏崎駅までデモ行進を行いました。



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